2018.09.29 第11回 MBA軽井沢セミナー Creative Japan from Karuizawa
「ファッションと政治」
常に時代の鏡であり、先端を行く存在であるファッション。
今回のセミナーでは、文学・映画のなかのファッションを研究されていらっしゃる、芳野まい氏をお招きし、「ファッションと政治」の関係についてお話を伺います。
「ファッションと政治」というと、一瞬あまり関係がなさそうに感じるかもしれませんが、実はファッションは、政権のメッセージを伝え、政治家のブランド価値を高めるため、歴史上大きな役割を果たしてきました。
たとえば、ジャッキー・ケネディ。アメリカ合衆国史上もっとも若いアメリカ大統領の夫人として絶大な人気を誇った彼女は、どのようにそのスタイルを「作り」「伝え」、政権の価値を高めていったか?豊富な図版や映像で視覚的にイメージをつかみ、当時の国内・国際政治状況、またハリウッド映画産業とのかかわりについても考えながら、たどっていきます。
東大在籍中に留学生としてソルボンヌ大学で学びながらファッションや食取材の通訳、芝居の翻訳のアルバイトを精力的に続けたことからフランス文化に精通し、生の知識の膨大な蓄積が現在の多彩な仕事の鉱脈となっていらっしゃる芳野氏のお話は、貴重な機会になるかと存じます。
是非、皆様お誘い合わせの上、お越し下さい。今年も緑豊かな軽井沢で皆様とお会いできます事、楽しみにしております。
【日時】 2018年9月29日(土) 15:45~ 開場・受付開始
16:00~17:30 講演
18:00~20:30 懇親会
【セミナー並びに懇親会場】 ユニオンチャーチ http://www.karuizawaunionchurch.org/
〒389-0102長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢862 (旧軽テニスコート隣)
【参加費】 セミナー: \2,000(教会への寄付等) 懇親会:\4,000
主催: NPO法人MBAキャリアデザイン研究所 http://www.mba-career.net
後援: NBS 長野放送
芳野 まい(よしの まい) 氏
フランス文学研究者/東京成徳大学経営学部(ファッションビジネス)准教授/一般財団法人セゾン現代美術館業務執行理事・調査研究担当部長/NHKラジオフランス語講座「まいにちフランス語」講師。
<ご略歴>東京生まれ。フランス20世紀初頭の作家マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読み、フランス語・フランス文学の研究を志す。プルーストの小説を中心に小説・映画のなかのファッションについて研究。東京大学教養学部教養学科フランス科卒。フランス政府給費留学生として渡仏。東京成徳大学経営学部(ファッションビジネス)准教授。一般財団法人セゾン現代美術館業務執行理事・調査研究担当部長。NHKラジオフランス語講座「まいにちフランス語」(「ファッションをひもとき、時を読む」「ガストロノミー・フランセーズ 食を語り、愛を語る」)講師。日本についてフランス語で伝える教科書「心ときめきするもの」を執筆・編集。
参加ご希望の方は、氏名・所属団体・連絡先をご記入の上、9月22日迄にinfo@mba-career.net(もしくは http://www.mba-career.netのHP上から、またはFAX 03-3531-3195)の方へお申し込み下さい。
お問い合わせ: NPO法人MBAキャリアデザイン研究所事務局 info@mba-career.net
★NPO法人MBAキャリアデザイン研究所とは
NPO法人MBAキャリアデザイン研究所(代表 庄司祐子)、その創業の意図するところは、産学連携の中で日本のMBAの価値を高めていく事にあります。当研究所では、10年前から軽井沢にてMBAセミナーを開催しております。今回、11回目にあたるセミナーでは、ブルーストにハマって30年、フランス文学研究を起点に、映画や洋服、食について発信し続けていらっしゃる芳野氏から、ファッションの社会的・政治的影響についてお話しを伺います。東大在籍中に留学生としてソルボンヌ大学で学びながらファッションや食取材の通訳、芝居の翻訳のアルバイトを精力的に続けたことからフランス文化に精通し、生の知識の膨大な蓄積が現在の多彩な仕事の鉱脈となっていらっしゃる芳野氏のお話しは貴重な機会になるかと存じます。
★ 軽井沢ユニオンチャーチとは
http://www.karuizawaunionchurch.org/
軽井沢ユニオンチャーチは、地域の住民から「軽井沢の村長さん」と呼ばれ親しまれたダニエル・ノルマン宣教師によって活動を開始しました。非公式ですが1897(明治30)年からその活動が始まっています。 そのメンバーはプロテスタントの外国人宣教師たちで、荒れ地に近かった軽井沢に最初に夏の別荘を建てたのも彼らの働きでした。クリスチャンのための礼拝も1880年中頃には既に持たれていました。もともと官営鉄道の高級技師用クラブハウスとして建てられた建物を買い取り、改装した後、現在の教会として1906(明治39)年から使用されています。