水上彩さんがまとめてくださった記事を、下記に転載させていただきました。
1000%アーティスト、芳野まいのプルースト
毎月開催されている山口路子先生のミューズサロン、8月のテーマは、芳野まい先生をおむかえしての「芳野まいのプルースト」。
芳野まい先生といえば、マルセル・プルーストの研究家。なんと15歳でプルーストに目覚め、「これを原語で読みたい!」とフランスへ。しかもプルーストのみならず、フランス映画やファッションにも精通している才女。しかもしかも、ああ、女性研究者の方って......なんだか見た目に残念な方が多いように思うのですが(失礼)、まい先生はさらに美女でキュートという、もう神様は二物を与えたもうた、の代表のような方。とにかく、こちらをごらん下さい!
ちなみにNHKフランス語講座の講師もされている、まい先生。フランス語......できるようになる気がしないけど、まい先生の声をきくためだけにラジオ講座きこうかな。声もチャーミングなのです。
そんな素敵なまい先生にプルーストのお話をしていただけるという、もう路子先生だからこそ実現できる超贅沢なミューズサロン。
そもそも私が感動したのは、15歳でプルースト、ですよ!!
詳しく聞くと、「内容はよくわからないけれど、読んだ瞬間、背骨にあたたかな水を注ぎ込まれたかのような快感があった」とまい先生。まさにプルーストに「呼ばれた」感じがしたそうです。なんということでしょう。
私なんて、中学生のときなんて、ぼーーーっとしてた記憶しかないのに......(いじいじ)。
長編で、かつ読みにくいことでも有名な『失われた時を求めて』。
いったい何が魅力なのでしょう、そのあたりをじっくり3時間語っていただきました。
全部の内容をかくと、原稿用紙20枚分くらいになりそうなので省きますが、
とにかく言えるのは、もう、参加者全員がプルーストのダメっぷりに励まされた、ということではないでしょうか。
プルーストが、近く、感じる......。
そう、プルーストといえば、20世紀最高傑作を生み出した作家で、「あー、どうせ自分とは根本的にちがう人種、天才でしょっ」とすねたくなるものですが、実は彼自身かなりの遅咲き。
40歳くらいまでは社交界をふらふらして、偉い人の太鼓持ちをしてみたり、文学を志すも詩も短編小説もダメ、しかも上流階級の家に生まれたので一度も仕事をしたことがない、というダメさ加減。
そこから一転して『失われた時を求めて』一本の生活に入り、なくなるまでの約10年間ほとんど家にこもりきりで書く生活。今まで蓄積したものを、すさまじい勢いで作品に昇華させたのです。それが100年後の今も語り継がれる名著に......。
つまり、詩や短編小説は合わなくても、長編小説こそが自分の真価を発揮できるジャンルだということを、彼自身がつかんだといえます。まい先生も、「『失われた時を求めて』が1冊で終っていたら、これほどの魅力はなかったと思う」とおっしゃっていました。
このエピソードをきいて、驚くと同時に、勇気をもらったのです。
いま「何者でもない」ことに悩んでいる自分、でもプルーストだってそうだったじゃないか。天才だって、試行錯誤の果てにやっと自分の力を発揮できる分野をみつけたんだ、いわんや凡人の私をや。
それからプルーストが常に持っていたのは、「消費するだけじゃいやだ、自分も何かを生み出したい!」という思い。
でもうまくいかない......苦しい、生き辛い。周りからは生まれた環境などから「恵まれてる」と見られる。そのギャップも辛かったと思います。
ちなみにこの時代は第一次世界大戦のさなか。まわりが次々戦死し、生きるか死ぬかの瀬戸際のなか、プルーストは「何かを生み出したい!」ともがいているのだから、その創作へ確固たる思いたるや、おそるべし......。
でもその思いこそが、なかなか芽が出なくても文学を志しつづける原動力になった。「強い表現者」というキーワードは、今回何度も出てきました。
この弱い/強い表現者の話とゴダールの映画がリンクしてきたり、文学や映画などのジャンルを超えた「表現」の仕方についても考えさせられました。
そして、まい先生が繰り返しおしゃっていたのは、「プルーストには、全てがある」。
プルーストを読むことで、読んだ人自身が、自分のことがよくわかる、ということ。
本は「拡大鏡」の役割を果たし、自分と向き合うツールとなる。
うーん、プルースト...深い。
頭を使ったあとは、のんびりティータイム。
プルーストといえば、マドレーヌを紅茶にひたすエピソードが有名(「プルースト効果」のもと)というので、マドレーヌのお土産がたくさん集まりました。
わたしは、焼き菓子にあいそうなワイン、やや微発泡の甘口、モスカート・ダスティを。
プルーストに浸る、知的な刺激にあふれた優雅な午後でした。
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すっかり夏の気配もさり、本格的な秋の夜長の季節。プルースト、挑戦してみようかな、と思いつつ。
そのときに自分に言い聞かせるのは、プルーストに論理性や整合性を求めてはいけない、ということ。話があちこち脱線したり、読みにくくても、音楽を聴くように、その流れに身をまかせること。
なぜなら、プルーストは、1000%アーティストなのだから。