ロシア・バレエ、マリリン・モンローから『海月姫』まで
ファッションやヘアメイクなどの流行は、社会の移り変わりをもっともよく映す現象のひとつです。映画、舞台、小説、マンガなどの創作者は、ファッションや ヘアメイクを通してどのように、時代を「(再)創造」し、社会の移り変わりを描いているでしょうか?
さまざまな作品を通してそれを検証しながら、ファッション、ヘアメイクの歴史と、社会的な役割について、理解を深めていきましょう。
内容
ファッション、ヘアメイクの流行が芸術作品にどのようなインスピレーションを与え、また作品からどのような流行が生まれたかを、検証していきます。
社会現象にまでなった舞台や映画のスターのファッションや髪型には、どんなものがあるでしょうか? またそうした流行は、スターの人生を、どのように変えていったでしょうか? ロシア・バレエやハリウッド映画、テレビドラマのスターの知られざるエピソードにも触れながら、考えます。
マンガでは、『海月姫』『繕い裁つ人』など現在 進行形の作品も取り上げ、日本のファッション、アパレルを取り巻く現在の状況についても、考えていきましょう。
日時:2016年1月27日(水)、 2月3日(水)、 2月17日(水)、 2月24日(水) 19:00〜20:30 *4回講座
大きなできごとは、「かけ算」で起こる。
SMAPも、ここ数日で突然増えた知識で考えるに、「マネージャー(の献身と工夫)×事務所(の後ろ盾、と、そもそもグループ誕生のきっかけを作った)×メンバー(の資質と努力)×時代(これも大きい)」という、それぞれ大きな数がかけ合わさって、大きくなった。どれかが欠けていたり、どれかの数が小さかったら、いま「国民的スター」と言われるまでにはならなかっただろう。
20世紀初めロシアからパリに乗り込んだ「ロシアバレエ」は、「かけ算」効果MAXのアートの大事件だった。
ディアギレフ(プロデュース)×ニジンスキーやリファール(ダンサー)×ピカソやストラヴィンスキーやコクトー(美術や音楽など、ダンス以外を担当するアーチスト)×パトロンたち(お金と後ろ盾)×時代(やっぱりこれがいちばん大きい)。
ディアギレフは、「ロシアバレエ」を立ち上げ、お金持ちに資金を出させ、時代の天才たちの力を300パーセント出させ、傑作を次々に誕生させた。ニジンスキーはやはり、20世紀のもっともカリスマ的なダンサーだろう。
ストラヴィンスキーの最高傑作は、1913年秋、その春オープンしたばかりのシャンゼリゼ劇場で初演された、ロシアバレエのための「春の祭典」だ。このま新しすぎる音楽に、観客がどれほど戸惑い、憤慨し、賛美したか、当時の新聞を読むと分かる。
「パトロン」。ロシアバレエの時代、パリにはこの新しいアートにお金を出し、後ろ盾になろうという新興勢力があった。シンガーミシンの創業者の娘で、マリー・アントワネットの特別なお気に入りだったポリニヤック夫人の子孫、ポリニヤック大公と結婚した、ウィナレッタ・シンガーや、女盛りのココ・シャネル、その親友のミシア・セール。
「時代」。ロシアバレエがパリで熱狂的に受け入れられたのは、パリの人たちが、くすんだ色のファッション、代わり映えのしない劇場、代わり映えのしない舞台に、飽き飽きしていたからだ。もっと荒々しい色、もっと野生的な動き、もっと「今」を映したアートとスターを、時代は、それと知らずに、切望していた。だから、大事件となり、当時のアーチストみなに多かれ少なかれ、霊感を与えた。
かけ算がどんどんMAX に近づいていく期間を、「蜜月」という。
ロシアバレエがやってきて、傑作を次々と花咲かせていくのとちょうど同じとき、刻々と変化していく社会を映しだそうと長い長い小説を書いていたのが、プルーストだ。個人的にロシアバレエの立役者たちとも親しかった(プルーストの親友のレイナルド・アーンは、1914年にロシアバレエの演目のために作曲する)。
長い小説「失われた時を求めて」は、ロシアバレエと同じようにいろんな要素の「かけ算」で、どんどん、大きくなり、しかも書かれたものの強みで作者の死後も影響力はロングテールでどんどん、どんどん、大きくなり、ロシアバレエと同じく20世紀初頭アート最大の事件のひとつとなった。
そんなプルーストが、そんなロシアバレエの現象をどんな風に読み取り、小説に描きこむことで時代を「(再)創造」し、社会の移り変わりを描いたか?ファッションとヘアメイクを切り口に、考えます。