年末、「1985年に半導体メーカーに入社した」という人と話していた。
「どうしてその会社に入ったのか?」と聞いたら、「『鉄腕アトム』が好きだったから」という答だった。
今はその会社で偉くなって、目をキラキラさせながら、
鉄腕アトムとテクノロジーが変える未来について、私にもわかることばで語っていた。
視覚化できる未来は実現できる、という。
マンガが「こうだったら、かっこいい」という未来を描いて、それが人の人生を変えちゃう率は、たぶんもう何十年も、着々と、上がっている。
けっこうびっくりするくらいの率なんじゃないかとも、思う。
このアトムの人のような人に、けっこう、出会うからだ。
『私を月まで連れてって!』は、私の人生を変えたマンガだ。
舞台は21世紀後半のアメリカ。NASAにお勤めのエリート宇宙飛行士、ダン・マイルドと、10歳の超能力少女ニナ・フレキシブルの17歳差カップルを中心とする、SFラブコメディ、ホームコメディだ。
とくに大きな物語はなく、一話ずつ、ちょこちょことした事件が起こる。
このマイルド家とフレキシブル家のスーパー家政婦、おヤエさんが、
かっこいい。
お多福みたいな外見で(でもけっこうナイスバディ)、一人で何軒分の主婦の仕事をこなし、すずしい顔で、魔女のようにさまざまな事件の解決に貢献する。
必要に迫られるまで明かさないが、じつはいろんな分野の学位と資格を持ち(「心理学精神分析学修士号、看護学薬学収支、医学一般修士、コンピュータプログラム科修士証明...」)
平安時代から続く名家(温泉:おんぜい 家) のお姫様でもあるらしい。
そのめちゃくちゃ恵まれた優秀な女子が、なぜ、家政婦を職業に選ぶのか?
どうして...いろんなことを知っているのに 家事だけを仕事として選んだの?
ひとことで言えば主婦っていう仕事が総合学を必要とするプロフェッショナルなものだからです
総合学?
そう すべての情報と知識をもって判断して裁き かつまとめていく最も高度な学問...
細分化された専門分野をバランスよく調合する学問ですね
それが、「細分化された専門分野をバランスよく調合する」仕事だからだ。
育児学にしても栄養学にしてもひつとだけじゃダメ
それをまとめる主婦のポリシーがなけりゃ
こんなに仕事にプライドがあるから、人に対して厳しいかといえば、
相手を正確に見定めつつ(「奥様の洋服を選ぶときはともかく褒める! 真実を言ってはいけません」「...的を得てる オソロシイ観察力!」)
でも ま 実際には反面教師というテもあります
人間には生活の知恵があるってことですよ
さいごは理想よりも「人間のたくましさ」を最上位に置く。
そのかっこよさ。
そして人間や機械のダメな部分を愛する、度量と遊び心。
私が劣等感を持つ人間が好きだからですよ
人間に似てたほうが愛されますから
あまりにかっこよく、幼い私は、自分もこういう総合力の仕事をしよう!と決意した。
以来、自分がそういう仕事を選ぶ(家政婦じゃないけど)のはもちろんのこと、
ほかの「総合力が、勝負」であろう仕事にも、やや異常な関心がある。
全般的に人の仕事の話を聞くのがすきだけれど、とくにそういう総合力の仕事(マンガの編集、とか)の人たちの話を思わず聞き出してしまうようになった。
(結果、けっきょくどんな仕事でもさいごは総合力、とも思う。)
クールで有能でチャーミングなおヤエさんは、大富豪の美形兄弟の二人から愛されて、(いろいろあって)そのうちの一人と結婚し、最終巻の最後で、双子を産む。
めでたしめでたし。
ちなみにアガサ・クリスティの『パディントン発4時50分』にも、おヤエさんと同じ理由で職業を選んだ、スーパー家政婦(オックスフォード大学を首席で卒業したらしい)が出てくる。これもかっこいい。
『私を月まで連れてって!』は、近未来を描いているけれど、
それは、ハードでストイックな、がんばってがんばって目指していく未来じゃない。
気が付いたら当たり前のように実現していたという感じの、それこそマイルドでフレキシブルな、ハッピーな、バランスのとれた、未来だ。
テクノロジーがもたらす本質的な変化というものは描かれず(作者の関心もそこにはないだろうし)、ハードSFの人たちからしたら「舞台を宇宙と未来にしただけじゃないか!」ということになるだろうが、
懐かしい、そこに戻って行きたくなるような、未来だ。
おヤエさんもいる。
新年、さいしょに読みたいマンガをひとつだけ、といわれたら、
『私を月まで連れてって!』を選ぶ。
----------------------------------------
掲載『マンガHONZ』