マンガのマリアージュ
どんな傑作でも、作品にはやむを得ない限界がある。
だから、ほかの作品との「組み合わせ(マリアージュ?)」を探したくなるものがある。
内田カヲルの『そして続きがあるのなら』『帰らなくてもいいのだけれど』『そしてすべてが動き出す』三部作は、「才能に惚れる」ことについて、とても魅力的な物語を描く。
おすすめの組み合わせは、デザイナー、イヴ・サン=ローランとそのパートナー、ピエール・ベルジェについての作品(映画や評伝)と、だ。
「才能に惚れる」サン=ローランとベルジェ
この秋公開された映画「イヴ・サン=ローラン」は、「ピエール・ベルジェ」というタイトルでいいと思うほど、デザイナーの才能に惚れたパートナーを描いていた。
ピエール・ベルジェは、すごい。まず画家のベルナール・ビュフェ、そして次にサン=ローラン、二人の恋人を、それぞれ美術界とファッション界のスターにした。広報や経営面だけでなく、繊細すぎて社交性に欠け、依存型のアーチストを生活のあらゆる面にわたって徹底的にサポートする、という方法で。
映画のなかでもベルジェは、いろんな依存症でぐだぐだになったサン=ローランを引っ叩き、熱いシャワーにつっこみ、障害となる愛人(は、カール・ラガーフェルドの人生最大の恋人でもあったので、サン=ローランは間男になる)をお金で追い払う。サン=ローランの両親に、サン=ローラン名義でプレゼントを送ることも忘れない。
いっぽう、ライセンス契約で、サン=ローラン印のスカーフや比較的手頃な商品をどんどん売り、利益をあげる。サン=ローラン自身がほとんど目にすることはなかったこうした商品を、子供のころ私もデパートでよくみかけた。究極的にはそれもこれも、「サン=ローランが、オートクチュールで自由に創作し、才能を発揮するため」。でありながら、自分の利益はしっかり確保し、自己犠牲の痛々しさはまったくない。強くて貪欲で、人を惹きつける魅力を持った「裏方」だ。
「才能に惚れる」マンガ
そのベルジェ&サン=ローランに負けない「才能に惚れる」物語が、内田カヲル三部作だ。
主人公は高校の先輩、後輩。高校時代は二人ともマンガを描いていたが、後輩の描いたマンガを読んで、(衝撃を受けて)先輩はマンガ家の夢を捨てる。
高校卒業後交渉の途絶えていた二人。後輩のほうはマンガをあきらめコンビニで働いていた。先輩は麻雀雑誌の編集者になっている。その二人がコンビニで再会。ちょうど麻雀雑誌に掲載予定のマンガ家が逃げてしまった機会をとらえ、先輩は後輩を雑誌デビューさせ、ついで連載デビューさせる。その後紆余曲折を経て、先輩は後輩の個人マネージャー兼恋人となり、同居して、ご飯をつくり、引越しの手配をし、アシスタントに指示を出し、マンガを描くことと以外のすべてを引き受け、後輩はどんどんマンガを描き、有名になっていく。
この「才能に惚れる、惚れられる関係」のもっとも美しい部分は、さいごに引くセリフに完璧に凝縮されている。それ以上書くことはない。
が、幸せな気分で読み終わったあと、ときどき、ふと、考える。こういう関係は、ちょっと悪く回ると「誰のせいで今があると思ってるんだ?」と、お互い責めあうことにならないのだろうか?それに、どちらかひとつ(仕事か、恋愛か)がなくなったら、どうなるんだろう?
もちろん、内田カヲル三部作は(そういう作品やキャラではないので)それを描かない(必要もない)。
だからそこから先は、サン=ローランとベルジェにいく。
映画のなかでは、サン=ローランがベルジェに「自分を利用して利益を得ている」と大声で怒鳴る。ベルジェも負けない。たぶん、恋はこのへんから決定的に終わっていくのだろう。
恋の終わりのその後については、さすがに映画は(恋愛もののカテゴリーに入るし)ごくぼんやりとしか描かない。じっさいには二人は、恋愛が終わった後も、仕事上のパートナーであり続ける。それからベルジェはサン=ローランの仕事と利益を守りながら、もう一度、若い恋人をファッション界のスターにしようとする。が、それは実らない。
そんなふうに別の作品や歴史との楽しいマリアージュを探してしまうのも、内田カヲルの描く「才能に惚れる」物語が、魅力的だからだ。
......オレは お前になりたかった
まァ そんな事ァ 出来る訳がねぇ
離れて忘れてしまうか 間近に居るか
間近に居るなら お前が昇ろうが落ちようが全部 見届けたい
焦がれ続けた才能を 今更 手放す気はねぇよ
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掲載『マンガHONZ』