マンガにも"運命"がある。
『タンゴの男 the final』は、そのことを考えさせてくれる作品だ。
マンガの運命
初版の『タンゴの男』は、もともと歴史マンガを書いていた作者が初めて書いたBLで、商業マンガ家としてのデビュー作だ。
連載開始にあたって、ものすごく壮大な物語が構想されていた。タンゴとそれをつくった移民の歴史を抱えこむような物語だ。『タンゴの男』の主人公、タンゴダンサーとそのパートナーとなるヒロの物語は、その壮大な物語のほんの一部だった。
初版から4年後に刊行された新装版『タンゴの男 the final』に掲載されている設定資料には、それ以外の人物もいろいろ出てくる。けれどその物語を読者が読むことはなかった。連載は、これからいよいよ始まる(出会った!結ばれた!)というところで、終わった。
なぜか?
連載雑誌が休刊になったからである。
初版『タンゴの男』には、そのいよいよ!これから!というところが収められている。作者は、版権が切れるのを待って同人誌で続きを描こうとしていたらしい。だが出版社から北米版を出すというオファーがあった際、「初版に読み切りを加えた新装版を日本でも出版してくれるなら」と交渉、主人公の二人の物語を締めくくる「30年後」も描き下しで収録した新装版を刊行することになった。
"これでやっと二人を踊らせてやれる。当然ながら24pで彼らの30年を全て描ききるのは無理だったが、どんな人生を歩んだか感じていただける仕上がりにはなったと思う。
"
新装版には他に、主人公のダンサー、アンジーの若いころの話、さらに制作裏話が入っている。
そんな断片から想像される、欠けた大きなわっかの部分を、もちろん、見てみたい気はする。(「続編ではヒロが一つずつステップを覚えて行く過程と
アンジーとの関係を築いて行く過程をシンクロして
描きたかった」←自分でタンゴを踊るから、これはやっぱり見たかった)けれど、こんなふうに作品がたどった運命を、手で触れるように見ることができるのも、すごい魅力だ。欠けた部分を自分で想像できるのも、楽しい。そう思えるのも、みえる「部分」がとても魅力的に、物語を孕んでいるからだ。
たどった運命がそのまま映し出されていて、だからこそ物語を孕んでいる感じ。それが、『タンゴの男 the final』の最大の魅力だ。ページをめくるといきなり30年後になっている、このジャンプを、空白の4年が、支えている。ページのここかしこをつつけば、まだかたちになっていない物語が飛び出てきそうだ。だから、何度も手に取り、ページをめくる。なぜだかわからないが、元気がでる。
タンゴの運命
知る限り世界最高のタンゴ・マンガ『タンゴの男 the final』は、一枚のタンゴのCDとの出会いから生まれたらしい。
"移民が作り上げた音楽であった事、最初は男たちがそれに合わせて踊っていた事、そこに込められた郷愁、不安、聞き込む内に色々なドラマが頭のなかに生まれた
"
作品のきっかけで、内容そのものであるアルゼンチンタンゴ。それがたどった運命も、また魅力的だ。
タンゴは、1870~80年頃、ブエノスアイレスの場末で生まれた。
アルゼンチンはわかりやすく移民の国だ。勿論もともとインディオが住んでいて、「建国」時には黒人奴隷たちの働きも大きかった(ちなみに今のアルゼンチンには、いろいろな歴史を経て、肌の黒い人はほとんどいない)。『母をたずねて三千里』マルコのお母さんは、イタリアのジェノヴァからブエノスアイレスに出稼ぎに渡り病気になってしまったが、そんなふうにヨーロッパのいろいろな国から移民が渡った。
アルゼンチン、とくに首都のブエノスアイレスに世界各地から人が流れ込んだように、タンゴも、さまざまな国からさまざまなものが流れ着いて、生まれた。リズムは黒人由来、かたちはヨーロッパ発祥のワルツやポルカ、カントリー・ダンス、メロディーはユダヤ由来といわれる。バンドネオンというタンゴ特有の楽器を作ったのはドイツ人、タンゴの国民的歌手カルロス・ガルデルはフランス生まれといわれ、日本でも知られているアストル・ピアソラはイタリア移民三世だ。
最初は大草原地帯で野生の牛を狩る牧童たちが、女性のいない生活のなか男同士で踊ったという説もある。初期のタンゴのタイトルには、セックスの行為や性器そのものを想起させるようなものもあった。いずれにせよ、非常に貧しく、セックス産業も盛んな場所で、フラストレーションのはけ口として生まれたのが、タンゴだ。だから上流階級の人間たちには無縁の芸能だった。
ところが。
20世紀初め、アルゼンチンの上流階級にとって、最大の憧れが、フランス、そしてその首都パリだった。一年のうちの半分をアルゼンチン、半分をパリで過ごすという者も少なくなかったという。
そのパリで、タンゴが大流行した。1913年は「フランスにおけるタンゴ年」と言っていい。「タンゴ色」「タンゴ・ドレス」「タンゴ・ケーキ」まで誕生し、流行はタンゴ一色だった。
憧れのパリで大流行しているということで、アルゼンチンの上流階級の人間も遅ればせながら、(パリに来て)タンゴを習うようになる。パリからブエノスアイレス に逆輸入され、ほかの要因もあり、タンゴは一気に上昇気流に乗った。1920~30年代にはカルロス・ガルデルという神話的大スターも生まれ、その後アップダウンを繰り返しつつも、国民的芸術となり、現在に至る。
そんなことになるとは、1870年にはだれも、思いもよらなかっただろう。
この歴史のなかで、タンゴが得たものもあれば、失ったものもある。
世界でもっとも野心的なタンゴ・マンガ
『タンゴの男』は、こういうタンゴの暗い出自(「あれは移民の目 逃げ場のない孤独の中 夢見ることも諦め 生きる為に全てを受け入れた目」、善悪の彼岸的な複雑な性格(「私を打ち捨てたもの 私を痛めつけたもの けれど私を本当に愛してくれたもの」)、パートナーとの特別な関係、飲み込み、飲み込まれるような歴史、痛み、それを含んだ全体を、みごとにマンガに落とし込んだ/込もうとした。
世界に誇っていい、タンゴ・マンガだ。
作者が最初考えた通りにはならなかったとしても。それも、タンゴらしい。
人生はタンゴだ ステップは無限にある
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掲載『マンガHONZ』