『エルメスの道』は、竹宮恵子が、エルメスの社史を描いたマンガだ。
誕生経緯が、すごい。
創業160年を迎えて、それまでフランス語で書かれた社史もなかったのに、いきなり、日本の、マンガで、社史を描いてもらおう、ということになった。社長の思いつきで。
私は仕事の関係上、日本に年数回参りますが、そのたびに日本文化の 奥深さに深い感銘を受けておりました。このたび、160年にわたるわが社の歴史をテーマに 、出版物を刊行したい、という時に思いついたのが、日本の素晴らしい文化の一つであり、今や世界的に高い評価を受けている、マンガというメディアでした。
クール・ジャパンということばをひんぱんに耳にするようになる前、1997年のことだ。
社長命でつくられた公式社史で、とうぜんダークな内幕話ががんがん出てきたりとかは、ない。でも、素敵な作品だ。
そもそも竹宮恵子は「技術でなにができるか」を考えるマンガ家だ。そして教科書をつくるのが、とても上手だ。
映画の物語分析と脚本制作の授業では、これまでいちども物語や脚本について考えたことがない、という学生にはまずこれをと、『マンガの脚本概論』をすすめている。脚本とはなにかが、わかりやすく説明されているからだ。脚本とは、伝えたい物語を伝え、マンガという言葉(=技術)を使いこなすための設計図である。
...自分のものが飽きられちゃったときに、どうやって次に転身するのか...それを考えると、アカデミックな上手さをちゃんと持っている方が得だ...それこそマンガ界で長生きできるから
『竹宮恵子のマンガ教室』も、マンガの技術とその意味を、わかりやすく説明していた。異分野の人間にも参考になる。
『エルメスの道』は、そんなふうに「(マンガの)技術で何ができるか」を意識して考えてきた著者が、「(馬具づくりの)技術でなにができるか?」という一言で要約されるエルメスの歴史を、きっちりとらえ、わかりやすく伝える「教科書」だ。フランスで育った技術の物語を、日本で育ったマンガの技術が伝えるのは、ちょっと素敵だ。
エルメスはもともと腕のいい馬具職人の店で、後に鞍なども作るようになる。三代目のエミールが、その販売・経営手腕で店を飛躍的に発展させる。フランスとその近隣国だけでは市場がじゅうぶん広くないと革命前のロシアまで乗り込み、最後の皇帝から大量の注文と王家御用商人の肩書きまで手にいれたりと、攻めの姿勢で販路を拡大した。
最大の転機は、馬車の時代から車の時代へと移り変わったときだ。エミールは、もはや馬具や鞍が売れなくなる時代に対し「次になにを売るか」を考え、職人の技術を守ろうとする。だがそれは鞍職人として誇りを持つ兄に理解されず、袂を分かつ。
馬具・鞍づくりの職人技術でなにができるか?その最初の大きな答が、バッグだった。第一次世界大戦後、より活動的になった女性たちは、繊細な布製よりも丈夫な革製のバッグ類を好むようになる。それでエルメスでは、革を、鞍を縫う特別な縫い方で縫い合わせて、バッグを作った。
その後も自らの技術とブランド力を求心力として、外部の技術やアイディアをどん欲に取り入れ、成長を続ける。現在エルメスのもうひとつの柱であるスカーフは、南仏のシルク・スクリーン専門の工房の技術に支えられて育ったものだ。そういうエレガントにしたたかなブランドの生き様から、社史を物語るにあたってマンガの技術を取り入れて生まれたのが、『エルメスの道』だ。
絵に描くということは、極端に鮮明な資料が必要なので、数限りなく、細かい質問を出して、FAXやメールのやりとりを重ね、本社のチェックによる手直しも含めて、その手数は今までのどの仕事よりも多かった。
という職人のこだわりで作られたこの本は、19世紀の初めから現在までのヨーロッパの風俗、特に女性のファッションの変化をみるにも、よいマンガだ。
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掲載『マンガHONZ』