教育とか人を育てるということは、「生きるための武器」を手に入れることを助けたり、助けられたりすることだと思う。
フランス革命を舞台にしたよしながふみの『ジェラールとジャック』は、人が育つ、人を育てる、ということを深く描いたマンガだ。
主人公のジェラールとジャックの出会いは、革命前夜のパリの男娼宿。ジャックは伯爵家の十二代目の当主だが、父親の借金の形に男娼宿に売られたばかり。その最初の客としてやってくるのが、片目に黒い眼帯をしたジェラールだ。
金で男娼を買うジェラールをののしるジャックに、ジェラールは言う。
俺はな この手で稼いだ金でお前を買ってるんだ 自分のこの手で!!
よく考えてみろ!今のお前は何者だ? 体を売る以外に借金を返す当てが今のお前にあるか!?
「この世でいちばん貴族が嫌い」というジェラールは、客としてジャックを容赦なく扱った後、200リーブルで身請けし、自由の身にしてやる。単なる気まぐれだ。
まあ 世の中に出て売春以外の真っ当な仕事がどんなに辛いものか思い知るんだな どうせ長くは勤まらんだろうが
そうしたところ、ジェラールの家に(それとは知らずに)ジャックが下男志望としてあわられ、雇うことになる。これもたぶん面白そうだから、だ。
「安心しろ 役に立たなきゃすぐクビにするさ」というジェラールの挑発に奮起したジャックは、薪割りや馬小屋の掃除など、下男の仕事を執事に教えてもらい、ひとつひとつ覚え、上達していく。
ジェラールの家は、その当時からしたら相当進歩的な方法で運営されている。ジャックのほかに執事と料理女しかいない。有能な使用人たちは、流行のお菓子を口にすることもできるし、「出入り自由 本は誰がどれだけ読んでも減るもんじゃないから」と解放されたジェラールの書斎で、(仕事が終わったら)好きなだけ本を読むことができる。
別に俺は慈善事業をしてるつもりはない シャルロットの料理の腕は抜群だろう? ポールもあれでいて優秀な執事なんだ それぞれが有能だから使用人も3人で済んで結果として経済的だ
プライドが高いが賢いジャックはジェラールの合理的な考え方に納得する。そして自分が役に立っていると思えるまで、お菓子に手をつけない(プライドが高いから)。下男になって一ヶ月で馬の蹄鉄まで取り替えられるようになったとき、ジェラールは書斎で本を読みながら寝てしまったジャックに夕食とマドレーヌを運ぶ。そのマドレーヌに添えられた「これはお前のマドレーヌだ」というカードを読むジャックの顔は、光に包まれたように晴れ晴れとしている。
合理性という信条に則ってジェラールはジャックに書斎を開放したわけだが、やがて(図らずも)読書の指南もすることになる。書棚にジャン=ジャック・ルソーの本を見つけ読もうとするジャックに、いきなり『社会契約論』から入るのは無理、『人間不平等起源論』から読め、とアドバイスする。
人を教育したり育てたりするのは、一般的にはまず両親の役割だとされる。だが必ずしもいつも条件が整うわけではない。たとえすばらしい両親だとしても、やっぱりいつか足りないところが出てくる。その足りない部分を補うために、人は学校に行ったり、社会に出たり、家庭を築いたりして、自分を育て、育ててもらうのだと思う。
ジャックの父親は進歩的になろうとして挫折し(妻の不貞を乗り越えられず、賭博にのめり込み、あろうことか息子を男娼宿に売ってしまう)、夫の死後ちゃっかり不倫相手と再婚する母親は貴族の女のずるさを充分に持った人間のようだ。このわりとしょうもない両親を、ジャックはやっぱり愛している、子供だから。だがこの両親の世界観に閉じ込められたままだったら、ジャックは激動の革命を生き抜く武器をまったく手に入れることができなかった。なにより、「不幸の元凶」の自分をいつまでも否定しなければならなかっただろう。
ジャックにとってジェラールは、自分の貴族の両親が教えてくれなかった世界を開いてくれる扉だった。誰にもそういう存在がいる。学校の先生にはその役割が期待されるが、相性という問題もある。自分が教師だからこそ言うが、そこはあまり期待してはいけない。その役割を果たすのが友達だったり、恋人だったり、職場のボスだったりすることもあるだろう。ジャックにとってジェラールはその全てだったが、それぞれの場所でそれぞれの人にちょっとずつ育ててもらっても、別にいい。
ジャック お前を愛さなかったら 俺は今でも自分を許せなかった
きれいごとのようだが、「育てる側も育てられる」というのもやっぱりほんとうだ。
ジェラールは若く美しく賢く貧乏な学生だったとき、貴族の女に恋して求婚した。妻を愛するがゆえに、その贅沢な生活を支えるために流行エロ小説作家になり、放縦な性生活に巻き込まれる。ジャックと出会ったときのジェラールの女性・貴族・恋愛観は、その結婚生活への反発なのだが、反発というかたちでやっぱり妻の影響にがんじがらめになっていた。
ジャックにとって両親がそうであったように、ジェラールにとって妻は最初の愛する手本だった。それは進化する自分にいつか合わなくなるから、手放さなきゃならないものだ。ジャックを育て、愛することによって、ジェラールはようやくその反発する過去から自由になる。
現在が充実すれば、自分を縛っていた過去から自由になる。自由になれば、その過去の価値を認めることもできる。ジャックが素直な人間なのはかつて両親に愛された記憶があるからだ。たぶん本質的にはジャックと同じくらい真面目なジェラールは(だから惹かれ合う)妻との生活がなかったら、ジャックをリードできるような余裕を持てなかったかもしれない。
若い頃ジャン=ジャック・ルソーと対等に渡り合ったというジェラールは、りっぱな思想家や新聞記者になれたかもしれないが、もっとつまらない奴になっていたかもしれない(すれたジェラールがいっそう魅力的になったことは、かつての妻の不倫相手が認めている)。革命の思想的リーダーになるよりも、妻との生活のために書き始めたエロ小説のほうが、理想がつぎつぎに裏切られる時代には(「これが俺達の起こした革命が辿り着いた結果なのかね...」)人を楽しませてかえって役にたったかもしれない(「『コレットとジュヌビエーヴ』第11巻がどうしても読みたくってね!俺達はあんたの大ファンなんだ G・アングラード!!」)。
馬の顔色をうかがわない 怯えない 何よりも馬を怯えさせない ...... よし!
ジェラールの屋敷に来て一ヶ月経った頃、朝起きて顔を洗い、馬の世話をしにいくジャックは自分にこう言いきかせる。
生きるための武器は、人から与えられるものではない。手に入れる手助けはしてもらえるかもしれないが、獲得するのは本人の工夫と努力によるしかない。そういうものじゃないと、自分の一部にはならない。『ジェラールとジャック』が美しいのは、その過程がはしょらずにきっちり描かれているからだ。
そういえば、同じよしながふみの『きのう何食べた?』は、ご飯という「(愛を)生きるための武器」の話だと思う。
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掲載『マンガHONZ』