Facebook Français English Contact HOME

2014.02.17  オレならできる オレが変える オレ達がこの国を変えてやる『海月姫』 レビュー @マンガHONZ

海月姫(11) (講談社コミックスキス)
掲載マンガHONZ』
 
オレならできる オレが変える オレ達がこの国を変えてやる『海月姫』 レビュー
海月姫(11) (講談社コミックスキス) 作者:東村 アキコ 出版社:講談社 発売日:2013-03-13 Amazon
『海月姫』の主人公は、ものすごく、かっこいい。

目標が、かっこいい。

有名な政治家の次男(歌手の愛人が母親、着道楽だったが幼いころ離ればなれになる)で、女装趣味の蔵之介は、天水館に住むクラゲオタクの月海に偶然出会い、デザイナーに仕立て、同居人の腐女子集団尼~ずを巻き込んで、クラゲのドレスのブランドjellyfishを立ち上げる。  

それでなにをしようとするのか?「風景を変える」のだ。 

しかし なんだろうね  最近の この あきらめムード/ 
デパートもファッションビルも 人 ガラガラ/ 
活気があるのは ファストファッションとネットショップだけ/
モノが売れない時代だからって あきらめちゃそれで終わりだ

不景気で個人消費が落ちて売り上げが下がり、インドや中国の縫製工場の人件費は上がり、外資系のファストファッションに押された日本のアパレル業界の(⇦インド美女ニーシャの説明)、どうにも絶望的な状況を変えようとしているのだ。

別の業界で言い換えるなら、確実に売るという目的のためどんどん同じような企画しか通らなくなって、書き手も編集者も読み手もモーチベーションが下がり、国際競争力なんて偶然に頼るだけ、自分で自分の首を絞めている出版業界、ということだ。  

その風景を、変えようとしている。  

少女マンガの主人公がこれほど、リアルにかっこいい目標を持ったことがあっただろうか?  

テニスの王者、紅天女、結果として業界の風景が変わちゃうかもしれないが、さいしょからそれを視野に入れてるわけじゃない(すくなくとも、主人公本人は)。 オスカル様や厩戸皇子には歴史観や壮大なビジョンがあったけれど、18世紀フランスや飛鳥時代は、ちょっと、遠い。  

そもそもこんな目標を持つことになったのは、自分のものすごく個人的な夢(今はいないお母さんのクローゼットを綺麗なドレスでいっぱいにする)と、月海のものすごく個人的な夢(お母さんの約束してくれたクラゲのドレスを作る)と、天水館住人のものすごく個人的な願い(立ち退きたくない)をひとつにまとめて、事業を立ち上げたことから始まる(「作ろう!クラゲのドレス作ろう! クラゲのドレス作って売って儲けて有名になって億万長者になって... そしたらその金で  天水館買うぞ!!!」)。

だけどそういうふうに動くと、自分が勝負をかけようとしている業界全体のあり方まで、みえちゃう人間がいる。 そこに創るモノに対する愛が加わると、ほんとに業界の風景を変えちゃうような起業につながる、ことがある。  

そんなかっこよく壮大な目標を持つ蔵之介の動かす『海月姫』は、現在ますます長く、壮大な、挫折の物語になってきている。 展示会では一着も注文が取れないし、月海はフィッシュに買われてしまうし、尼~ずは30万円で寝返る。いずれにしてもいまのままの方法で続けたら、ほどなくして莫大な借金を抱えること必至だ。 挫折しか、みえない。

当然だ。 簡単に成功するようなことなら、そもそもこんな絶望的な風景は生まれていない。とっくに誰かが救世主になっていた。 思いつきや根性、勢い「だけ」ではどうにもならない。 ニーシャの説く生産管理の問題もある。スタッフのモチベーションキープの問題(尼~ずは疲弊している)もある。  

なにか事を起こしたことがある人なら誰でも、身に覚えのある状況だ。  

ここからはほんとうにおせっかいな話だけど、服が素敵なだけでは、たぶんもうだめだ。素敵な服を作るためにこそ、作り方、売り方からイノベートしないと。 作り方、売り方、届け方の見直し。負ける時のためのリスクマネジメント。もちろん、「生産管理」。 ビジネスモデルということだ。マーケティングということだ。マネジメントということだ。あと「花」ということだ。

でももしかしたら、蔵之介はそういうことにもたどりついて、もしかしたら、ひとつひとつ、問題を解決していかれるかもしれない。 逃げない、から(「考えろ 蔵之介 どうしたらこの矛盾を打開できるのか」)。 月海も事業も、あきらめない、から(「どこに行こうと どんな遠くに行こうと オレはあいつを捕まえる」)。  月海の操作術を磨き(クラゲに似たクリームパンを差し入れたり)、スタッフとの間の通訳(「えー 通訳します」)の技を磨き、尼~ずプロデュース(「悲しいけど世の中には 人を見た目で判断する奴がいっぱいいるんだ もちろん敵もそういう奴らだ だから...鎧を身に纏え!!!!」)の技も磨き、仕組みを知り、少しずつ、風景を変えられるのかもしれない。  

それに蔵之介は、自分の持っているカードを「ぜんぶ、使う」と決めているみたいだ。 父親のゴールドカードも、政治家のイベントも、実家暮らしで母親が服を買ってくるのでお金を使うひまのない兄の貯めたお年玉も、自分の月海への想いも(「だとしたら それはそれで 魔法使い冥利に尽きるってもんだろ そうだな オレはそのスタンスで行くべきだな 月海のためにも jellyfishのためにも」)、ぜんぶ、使う覚悟を決めている。

知る限りこれは、長く勝つための必要条件だ。   

**

『海月姫』にはもう一人、同じように風景を変えようとする(かもしれない)登場人物がいる。  

日本のブランドをいくつも買収しているシンガポールの会社の創業者にして社長「今や力を失った日本のブランドが全てひれ伏すアジアのアパレル業界の首領」カイ・フィッシュだ。  

この男が表参道(通り)の真ん中で言う。 

通り一本挟んだだけで歩いてる人間の格好が全然違う街なんて/
世界中で原宿(ここ)くらいだ/ 
ここから右は企業が作り出したモードスタイルで/ 
左はそれに対抗したストリートスタイル/ 
どちらにしろ 自分に似合う服を着て歩いている人間はいないね

その通りだ。  

日本のブランドをどんどん買収し、月海まで買って、勢力拡大だけをモチベーションとするタイプかと思いきや、 フィッシュと蔵之介が、月海をめぐって対決する美しいシーンで、こんなことを言う。(蔵之介はとびきり美しく着飾っていて、場所は、あのホテルっぽい)。

残念ながら今のこの国にはあなた達が作った「普通じゃない服」を買う人間はいない/ 
でもね 時計の針を昔に戻したらどうでしょう/ 
私はこの業界を1950年代に戻したいと思ってるんですよ/ 
プレタポルテが定着するまえの1950年代のイタリアのような.../ 
職人が芸術家として服作りにおける絶対的なトップに位置していた時代に

とすると、フィッシュは、いまは地盤固めをしていて、やがてもっと大きな勝負をかけようとしているのか。 同じブランドで、高い服(AVIDY)と安い服(avidy ...小文字にしただけ!)を売り分け、きっちり利益を出し、才能を囲い込み、 そうしながら、風景を変える準備をしているのか。まあまだ1950年代のイタリアというだけでは、雲をつかむような話だけど。  

安いブランドだって、蔵之介が店に行ってこう思うほどきっちり作っている。「めちゃくちゃいい店じゃねぇか あの野郎...」 接客も気持ちよく、商品の価格帯もお手頃で、縫製もしっかり、デザインもよし。 当然だがスタートしたばかりの蔵之介の、1000歩先を行っている。

13巻でフィッシュの生い立ちがすこしわかる。施設育ちで、白いぱりぱりのシャツを着ていなかったがために運命が違ったということをバネに、ここまでのし上がってきたらしい。シャネルタイプだ。 

この国のファッションは「物語」を失ったポスト・モダンの中にあるわけだ/ だったら物語を創ればいい

蔵之介の創る物語と同じくらい、フィッシュの創る物語を見てみたいと思わせる、魅力的なライバルとのこの対決、 ぼんぼんで、万事読みの甘い蔵之介にはとりあえず、不利な感じだ。 でも、だからいいことも、あるだろう。シャネルはワガママな施設育ちだったけど、ラガーフェルドはワガママなぼんぼん(美しく自由な母親への憧れも蔵之介といっしょ)だった。  

これからどうなるんだろう。

業界の人間も恐ろしすぎて見つめることができない問題に敢然と立ち向かう(マンガを描く)にあたり、 作者はじっさいにアパレルブランドを立ち上げ、4ヶ月で2000万円使った(失った)そうだ。 

無料では手に入らないものがある。

****

昔フランスに留学しているとき、英語の通訳のアルバイトをすることがあった。 

あるときパソコン雑誌から、ここに行ってこの人の話を聞いてきて、と言われ出かけていった。  

知らない人で、話の内容はほとんどわからなかったが、さいしょから、圧倒的だった。  

その感じは、プルーストの1頁目を読んだときと似ていた。「たとえだまされて地獄に堕ちても」からだが勝手についていっちゃう、感じ、 それでじんわり、「自分もこれがやりたい」がわき上がってくる感じ。 

その感じがなにか、ずっと、考えた。考えている。

たぶんひとつは、これだ。 「風景を変える」と決めることの力、そのために「ぜんぶ、使う」と決めることの力。  

その日だけのプレスカードで前へ前へ前へ...と誘導された私の前に現れたのは、スケルトンの初代iBookを持った、スティーブ・ジョブスだった。  

----------------------------------------
掲載『マンガHONZ』